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ドイツ陸軍服がなぜ戦時中急に6つボタンになったのか?

M40とM42野戦服の比較です。

こんにちは。

今日はすんげーマニアックだけれどもすんげーメジャーなお話をしたいと思います。

陸軍服ってナチ党政権獲得後の戦前導入野戦服の代表格っていえばM36野戦服ヲ思い出すかと思います。

陸軍服はM36をはじめ(M33は今回省略します)M40野戦服は、前合わせのボタンが5つボタンだったのに

どうしてM41野戦服以降6つボタンのデザイン変更があったのか?

僕がむかしむかし東京に住んでいた時、あるコレクターの飲み会で

「なぜドイツ軍の野戦服、それも陸軍服で急に6つボタンになったのかというテーマ」

で議論が沸き上がり喧嘩になりそうな現場を見たことがあります。(結構解釈の違いでけんかになることってよくある話ですね)

それぞれが真剣な解釈で熱く語っていたのですが、結局は双方譲らずでその場は終わりました。

この議論の結論がいまだ落ち着くことがありません。

■この議論は欧米でも激しくスレッドで語られる謎

場所を変えた欧米でも激しく議論のテーマが”野戦服が急にボタン6つになった謎”は現在でも続いているようです。

ある程度僕の知っている仮説として以下の仮説が存在します。

1.生地が劣化したからデザインを変えざる得なかった

2.防寒目的で隙間風が中に入らないようにするため

3.復古主義的な動きが戦中で高まり伝統的な6つボタンにデザインを変更した

があります。

ここからは僕の仮説をもとにちょっとだけど素人の反論をちょっとだけ乱暴に描かせていただきます。

1.生地が劣化したからデザインを変えた話の仮説

 僕はこの意見には少しだけ違和感を感じます。

 ドイツ国防軍(陸軍、空軍、海軍)と武装SSの野戦服の移り変わりを見ると、

陸軍は、戦争が激化するたびにデザインを頻繁に変えていますが、武装SSはM44野戦服以外

戦前から5つボタンに変わりがありませんが、陸軍はM41野戦服以降6つボタンになります。

武装SSにもドイツ国内で生産された生地を供給していた分、劣化した生地を使用するのであれば武装SSの野戦服もボタンで補強して6つボタンになるべきなのですが、なぜか武装SSは5つボタンのままです。

(つーか武装SSは開襟前提の服で陸軍とは細かなデザインが異なります。)

そもそも質の悪い生地をボタンで補強するなんてナンセンスな話です。

ということで僕は1の仮説には違和感を感じます。

2.防寒目的で隙間風が入らないようにするため

これは僕の中でも最も疑問を感じるのですが、防寒目的でボタンを1つ増やしても大して意味がないということ。

東部戦線の教訓を生かしたデザインとでもいうのでしょうか?そもそも野戦服に防寒パルカやコートを羽織っているのが東部戦線では普通ですし、ボタン一つつ増えるだけで保温性が保たれるというのはちょっとどうかなって思います。むしろ防寒着の綿を増やすとか、厚手の生地を使うとかなら理解はできます。

3.復古主義的な動きが戦中で高まり伝統的な6つボタンのデザインが復活した

こういう情緒的な話はありえません。というのも野戦服は、機能性と生産効率を追求してできたデザインであり、そもそも伝統的な6つボタンという概念がありえません。

そもそもドイツ帝国をベースとした話では8つボタンが伝統的なボタンの数であり、6つボタンが古い概念ではありません。むしろ新しい概念です。

実際の話。

ライヒスヴェーアの陸軍の新式野戦服としての野戦服のパターン(型紙)を持っているのですが、M36の原型であるM33には2つのバリエーションが存在します。一つは5つボタン、もう一つは6つボタンのデザインです。

※Reichsheerの野戦服はFeldrockという名称で別個の存在なのでこの話では省きます。

実際の画像をご覧ください。

6つボタンのReichswehr ※カエルは画像コピー防止用におります

意外でしょう?ライヒスヘーアで6つボタンの野戦服なんて見たことないですよね。Feldrockは別個ですよ~

で次が5つボタンのタイプのM33野戦服

これも同じモデルのM33で5つボタン。

「えっうそでしょ?」って思いますか?

僕はこのパターンを手に入れるまではずっと

「戦前は5つボタンしかねえ」思想でした。

でもですね僕はこのパターンと、野戦服をずっと作ってきて思ったのが新たな仮説だったのです。

それが

開襟を目的とした野戦服として6つボタンになったということ

実なんですが、M36とM40の野戦服実物をとっても実際に当時のパターンで製作しても

開襟仕様のデザインでないことがわかったのです。

ドイツに限らず、ヨーロッパは夏場でも昼夜の温度差が激しく

日中は暑くても夜は冷える気候なのでウール服が発展した文化があります。

けれども兵隊にとって服の着心地は戦場において死活問題。

夏場は特に暑いとなると第一ボタンを開けて着用するのは命令がなければ基本開襟にしてはいけません。

でもですね、夏場のフランス進行とか、41年の東部戦線とか暑いんです。

当時の写真見ればわかりますがM36とかM40野戦服の兵士って開襟がきれいにできていないんですね。

でもM41とかM42,43服ってきれいに開襟ができているわけです。

結構襟を開くだけでも暑さの感じ方が変わるって経験ないですか?

変わりますよね。でも既存の野戦服って襟きれいに開けんのですよって兵隊からの不満があったんじゃないかなって想像はできます。

野戦服を既存のデザインで開襟にするにはどうしたらいい?

そう考えて生み出されたのがM41の6つボタンのデザイン。ってな感じ。

「そもそもヴァイマール時代にあった6つボタンの案をそのまま使えるんじゃね?」

って感じというのが僕の仮説です。

いろいろ異論があると思いますが、あなたの解釈もいろいろとあると思いますが、合理的に考えれば

6つボタンのデザインになったのは開襟を目的とするのが僕個人腑に落ちます。

どうでしょうか?

レプリカでも実物でも一度野戦服の開襟のしやすさを試してみるといいと思います。

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